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7月11日(日)読書会

7月11日(日)読書会が開催されました。参加者は7名(事務所3名,オンライン4名)でした。今回の課題本は「昨日のカレー,明日のパン」(木皿 泉)でした。本の簡単な紹介は「悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだ―。七年前、二十五才という若さであっけなく亡くなってしまった一樹。結婚からたった二年で遺されてしまった嫁テツコと、一緒に暮らし続ける一樹の父・ギフは、まわりの人々とともにゆるゆると彼の死を受け入れていく。なにげない日々の中にちりばめられた、「コトバ」の力がじんわり心にしみてくる人気脚本家がはじめて綴った連作長編小説」(BOOK データベース)といったところです。
 淡々とした静かな雰囲気の物語で,特に物語の中で大事件が起こるわけでもないし,どこがいいとは表現しにくいけれど,なんだかいい物語だったね,残るものがあったね…というのが,全体的な感想でした。登場人物に悪い人がいないのでほっとします。死という深刻なテーマを扱っているにも関わらず,重い感じがなく,ふんわりとした感じがあります。だから死を軽く扱っているのかというと決してそうではなく,テツコとギフをはじめとする一樹の周りの人々が静かに丁寧に時間をかけて,いくつかの儀式的な行為も経て,一樹の死を受け入れていく様子が印象的でした。テツコがこっそり持っていた一樹の遺骨の一部をお墓に返す場面があるのですが,そもそも「こっそり遺骨の一部をとる」ということができるのかという話から,お墓や埋葬についても話し合いました。
 テツコとギフの暮らしから受け取れる「昭和な感じ」へのなつかしさについても話し合いました。テツコとギフの家には大きな銀杏の木があり,それが象徴的な存在になっています。また,夕子(ギフの妻,一樹の母)が,季節にあわせて梅干しを干したり,銀杏を拾って食べたり,漬物を漬けたりしている様子が懐かしい,最近はこういう季節の行事を大切にしないで調理も電子レンジで済んでしまうのが寂しいという話をしました。
また,「ギフが死んじゃったらこの銀杏割り器を見て。寂しく思うのかしらなどと考えた。そう思うと,なんだか,この素っ気ないペンチみたいなのが,遺品のように思えてくる」(p.95)という部分から,ものと人との関係についても話しました。ある人にもらったものや,ある人が大切に使っていたものは,いつの間にかそのものがその人をあらわすようになってくるのかもしれません。人からもらったものは捨てられない人,捨てられないからそもそも人からものはもらわない人,断捨離をして寂しくなった人,いろいろいました。
この物語は教訓めいた感じがないものの,随所にきらっと心に残る言葉がちりばめられている感じです。メンバーがあげた箇所のうちのいくつかを紹介します。
 「自分には,この人間関係しかないとか,この場所しかないとか,この仕事しかないとかそう思い込んでしまったら,たとえ,ひどい目にあわされても,そこから逃げるという発想を持てない」(p.20) 
 「世の中,あなたが思っているほど怖くないよ。大丈夫」(p.171)
 「夕子がこの家の面倒を見てきたように,連太郎も一樹も自分の面倒を見てくれた」(p.189)
 「ここはただ眠ったり食べたりする場所だということが,いやおうなく思い知らされる。仕事をすることをベースにした,そのために合理的につくられた空間なのだと,岩井は思った。そうなのだ,ここには暮らしというものが一切ないのだ。(中略)ギフの家には暮らしがあった。それはおそらく,そこに住んできた人たちが何年もかけてつくり続けてきたものだろう」(p.219)
 次の読書会は8月29日(日)「その日のまえに」(重松 清)が課題本です。「僕たちは「その日」に向かって生きてきた—。昨日までの、そして、明日からも続くはずの毎日を不意に断ち切る家族の死。消えゆく命を前にして、いったい何ができるのだろうか…。死にゆく妻を静かに見送る父と子らを中心に、それぞれのなかにある生と死、そして日常のなかにある幸せの意味を見つめる連作短編集」(BOOK データベース)です。いつも読書会は,本の内容だけでなく,その背景や,作者について,個人の思い出についてなど幅広く話しています。「いい感想」「素敵な感想」を持たなくてもいいので,ぜひ気軽にご参加ください。